はじめに
2025年2月末~3月1日にかけて公演のあった、『「艦これ」舞台2025 -突入!礼号作戦1944-』の感想になります。
観覧したのは2月25日の夜公演一回のみです。台詞などうろおぼえで、実際のものと違っていたらすみません。
感想と言いつつ個人の印象等はひかえめにして、史実と舞台の設定の差異、つまりどんなif成分があったのか、その結果は……といった部分を中心に書いていこうと思います。
ちょうど先月、noteの方で『機動戦士ガンダム ジークアクス』先行上映の感想を書いたのですが、それが「仮想戦記(架空戦記)として云々」という切り口で、「架空戦記と言えば艦これだよなあ……」などとも思っていたので、多少論立ての流れが反映されているかと思います。
はじめに ネタバレがあるので未見の方はご遠慮ください。 事前知識ですが、ネット上の情報等はそれほど仕入れていなくて、…
参考書籍について
『第二水雷戦隊突入す 礼号作戦最後の艦砲射撃』
(木俣滋郎・著 光人社NF文庫 2003年)
礼号作戦については主にこの本で予習しました。その他の一次資料には当たっていません。本文内で引用に書名が書かれておらず、ページ数のみの場合はすべてこの書籍からの引用になります。
『艦隊これくしょん -艦これ- いつか静かな海で』
(原作:田中謙介 協力:C2機関 作画:さいとー栄 2014~2017年)
3巻冒頭の12~14話が足柄さん主人公回で礼号作戦がらみの話です。
劇場の形状について
劇場の形状はかなり特殊で、円形の外周通路を艦娘や深海艦がインラインスケートでガンガン走る他、客席脇の通路を通る際には演者と観客の距離が非常に近くなったりもします。すごい迫力。
ちなみに自分の席は向かって一番右ブロックの前の方、左の通路側でした。
演劇の観点から
自分は観劇の習慣はほぼなく、付き合いでアマチュアの芝居を見たりすることがたま~にあるくらいです。
また個人的に今回の公演は特殊すぎて舞台(劇)として一般論で語るのは難しいのではなかろうかと思っていますが、多少ながら演劇という観点で感じたこと、思いついたこともあるので最初に書いておこうと思います。
出入り(登場・退場)
個人的に演劇で面白いと思っているのは登場人物の出入りで、舞台という限られた空間があることで、昔から色々と工夫がされてきた劇ならではのギミックだと考えています。
たとえばシェイクスピアの時代には「暗転」のような演出はありませんでした。
このため、死体が発生してそれが舞台に放置されてしまったような場合、自力ではハケることができず、「番兵」「墓守」のような人物が脈絡なく登場して「邪魔な死体だなあ」などと適当な台詞で間を保たせつつ、死体をずるずる引きずって袖まで運ぶ必要があったのです。
今回の舞台「艦これ」では、序盤は普通の出入りもありましたが、出撃して以降はインラインスケートを使った高速での移動が基本となり、正面舞台へ登場する際も外周通路からスロープを通して袖~舞台へと登場する流れが多くなっていました。逆に袖から外周へ降りていく動きも同様です。
これがスピード感もあって新鮮で、特に正面舞台をスケートで何人かが周回している間に、袖から上がってきた艦が綺麗に合流するシーンなどは綿密な計算が感じられて感心しました。自分の席が上手に近く、このあたりの動きが見やすかったこともあって、ずっと注目していましたが面白かったです。
ちなみに正面舞台に上がる経路は袖だけではなく、敵味方入り乱れる状況などの場合、舞台正面から段差(1mちょいくらいの高さ?)を文字通りよじ登って登場することもありました。自分の席からは駆逐ラ級、松型駆逐艦、響らがそういった動きをするところが見え、よっこいしょと登る仕草が可愛くて良かったです。
第四の壁
演劇論に「第四の壁」という概念があります。舞台が三方の壁に囲まれているのに対して、正面側にある壁……つまり「演劇世界と現実世界を隔てる透明な壁」を意味する言葉です。
第四の壁を用いた演出として、一般には、劇の登場人物が観客に直接語りかけたり、観客席を演劇の世界に巻き込んだりといったものが考えられます。メタ的な演出や、広義には楽屋オチなども含まれるのかもしれません。
自分はあまり意識していなかったのですが、今回の舞台「艦これ」でも観客を認識している登場人物とそうでない人物がいる……という話を見かけたので、それは「第四の壁」を意識した演出だなと思いました。
礼号作戦のイメージと実際
戦史での知名度は低い作戦
艦これにおける前回の礼号作戦イベントは2016年2月の開催で、自分は2016年初頭の着任だったためまだ何も分からず、「おや、クリックできる海域が増えてるぞ?」と最低難易度を選び、なんかキツいし無理っぽいなと思いつつも、なんだかんだ完走はしました。
ということは艦これから入ったためなんとなく礼号作戦のことを知っていたわけで、戦史全体で見るとマイナーな作戦であるとの認識は、ごく最近までありませんでした。
『第二水雷戦隊突入す』には大岡昇平が推薦の辞を書いているのですが、そこにはこうあります。
ミンドロ橋頭堡攻撃は、太平洋戦争の掉尾を飾るにふさわしい果敢な作戦であった。著者木俣氏は熱心な海戦研究家で、私は『レイテ戦記』を書くに当たって教えられるところが多かった。本書の舞台であるミンドロ島サンホセは、戦時中私の駐屯していたところでもあるので、この戦闘の詳細をぜひ知りたいと思っている。
※頽勢(退勢、たいせい)……勢いが衰えること。
※掉尾(ちょうび)……最後で盛り上がりを見せること。
そういえば大岡昇平は陸軍の所属でミンドロ島のサン・ホセに駐留しており、米軍の輸送部隊が飛行場を作りに来た時に森に逃げ込んだ後、捕虜になった体験を元に『俘虜記』などを書いたんでした。礼号作戦の目標がまさにサン・ホセであり、この飛行場ですから、ほとんど関係者みたいなもんです。
その大岡昇平が言うのだから、やはり礼号作戦はマイナーであるようです。
歴史の空白にすっぽりとハマってしまったかのような礼号作戦
礼号作戦が少々不思議な作戦であることは事実です。
まずレイテでの大きな戦いがある程度収束して戦局が移り変わり、いよいよ日本軍の本拠地であるルソン島での決戦……という、大事を控えていた時期でした。
そして日本軍としては「米軍はルソン島の目と鼻の先であるミンドロ島に航空基地を作ったのだから、ここを経由してルソン島(マニラ)を攻めてくるはず」という読みがあり、ミンドロ島を攻撃すべく礼号作戦を発動したわけですが、これが誤りで、米軍艦隊はニューギニアで兵員を載せ、レイテ島経由で北側(マニラの北方のリンガエン湾)から上陸する作戦を採用しました。
(p15)
そして作戦経過はどうだったかというと、これは事前の偵察で分かっていたことではありますが、攻撃目標としたかった米軍輸送部隊は出港した後で空振りの感がありましたし、一方、米軍側の反応も遅れたため迎撃艦隊が出撃したもののまったく間に合わず、すれ違いとなったため艦隊戦が勃発することもありませんでした。
一撃離脱の作戦として成功裏に終わったことは間違いないのですが、ルソン島決戦という大きな流れの中では企図として空振りであり、戦史の中で取り沙汰されやすい派手な海戦もなかったこと。このあたりが礼号作戦の位置づけを難しくしている……ということです。
舞台の「こんな勝利に意味はない」という台詞には、史実面のこういった含みもあるでしょう。また同時に、このマイナー具合は、いかにもC2機関が好みそうな題材であるということも言えると思います。
礼号作戦前後の主要な出来事を時系列で簡単にまとめるとこのようになります。
1944年 | 日本軍の動き | アメリカ軍の動き |
---|---|---|
10月 | ||
20日~25日 | レイテ沖海戦 | |
同~12月上旬、それ以降 | レイテ島決戦 | |
12月 | ||
12日~15日 | 第一次輸送船団がサン・ホセ占拠 | |
17日 | 杉・樫・榧3隻がサン・ホセ突入作戦を実施するも台風により中止 | |
20日 | 礼号作戦発令 | ミンドロ島飛行場完成 |
20~22日 | 第二次輸送船団がサン・ホセへ | |
23日(25日、27日) | 飛行戦隊三個中隊がミンドロ島へ進出 | |
24日 | 礼号作戦部隊が出撃 ミンドロ島逆上陸作戦(陸軍) |
|
26日 | 礼号作戦部隊を発見、水雷戦隊を急派 | |
27日真夜中 | サン・ホセ攻撃 | |
27日 | 第三次輸送船団が出港 | |
28~29日 | カムラン湾へ帰投 |
※榧(かや)。
※陸軍のミンドロ島逆上陸作戦は形ばかりの小規模派兵だった。
両軍のすれ違いぶりが分かるでしょうか。
また関連して、12月26日段階でレイテ湾から派兵された米軍の水雷戦隊ですが、『第二水雷戦隊突入す』では、このうち駆逐艦8隻がHeywood L. E.などの所属する「第56水雷戦隊」となっています。しかしどうやらこれが間違いで、実際は別の部隊であったようです。
自分がX(Twitter)で相互フォローしている方がこの点を調べていたのですが、米側の記録が残っておらず、かなり苦労したとのことです。このあたりも海戦が生起しなかったことによって記録に残らなかったためなのかなと思われます。
史実とifの比較:架空戦記としての舞台「艦これ」
ここからは舞台の劇中時系列に沿って、「ここは史実通りだね、ここは違うよね」といった相違点を見ていきたいと思います。
冒頭シーン
開演直後は暗闇の中に雷が鳴り響く嵐のシーンでした。
この時点で礼号作戦よりすこし前、サン・ホセ湾突入を命じられた杉・樫・榧の3隻が、目的地に向かったものの台風のせいで引き返してきた場面の描写だろうと想像がつき、また時系列についても「礼号作戦発令の直前だろう」と推測できました。
(p113)
冒頭、清霜と朝霜のやりとりでなんとなく連合艦隊の現状を確認し、松型の3隻、杉・樫・榧が登場。
ここで改めて確認ですが、清霜と朝霜は改二の服装をしています。
ブラウザ版で朝霜改二の実装は2019年10月、清霜改二は2023年の10月ですから、それ以後の作品ならではということが言えると思います。
たとえば『いつか静かな海で』3巻の単行本は2017年発行で、おなじ礼号作戦モチーフでありながら、当然ですが、2隻とも改の服装でした。
(『艦隊これくしょん -艦これ- いつか静かな海で』3巻)
編成
大淀や四航戦の伊勢・日向も登場し、礼号作戦の編成について話が進んでいきます。参加艦艇は足柄、大淀、霞、朝霜、清霜、杉、樫、榧の8隻と発表。
このあたりでタイトルコールが入ったと思います。
食事シーンを挟みつつ、旗艦には霞が指定されたことも語られますが、ここで史実側の経緯を見てみると、まず礼号作戦の発令時「指揮官は第二水雷戦隊司令官とす」とされていました。これは水雷戦隊が中核の作戦ということで、キスカ島でも有名な木村少将を指名したものです。
この時の艦隊全体、つまり第二遊撃部隊の指揮官はレイテ沖海戦を戦った志摩中将でしたが、麾下の大淀、足柄を木村少将に預け、みずからは日向に移乗することになります。
そして旗艦に霞が選ばれたことについては、
筆者の質問(昭和三十四年春)に木村氏ははね返すように答えた。
「だって君、僕は駆逐艦乗りだよ」
(pp134-135)
……このように書かれており、「駆逐艦乗りの意地と栄光」を感じさせる決断であったようです。
その他の登場艦艇ですが、しれっと出てきた響はこの頃、艦内の赤痢蔓延により内地(日本)に回航していたはず。また初霜はシンガポールへ向かう羽黒の護衛で不在でした。
また一部公演では龍鳳の護衛役として時雨が登場したそうですが、こちらも故障で佐世保に帰港していました。時雨は所属が第二遊撃部隊なので、故障がなければ礼号作戦に参加した可能性は十分にあります。
演習
杉、樫、榧の練度不足を解消しようと演習を実施することになります。
この展開自体も史実にはなかったことですが、ここでひとつ気にしておきたいのは、朝霜、清霜のことを「もうベテランだね」と形容する台詞があったことです。
夕雲型でも後期型である朝霜・清霜は、期待の新鋭艦ではあったのですが、当時、練度については明らかに不足していました。
しかし「朝霜」は一〇ヵ月前、沖縄の南方で米潜水艦トラウトを撃沈していたが、この一ヵ月半の間に対空戦闘による戦死や負傷で砲術長が三人も交代するなど乗組員の質は大幅に下がっていた。
また「清霜」もその例外ではない。竣工が新しいだけに「清霜」は沖縄や硫黄島への輸送作戦に使用され、海戦らしい海戦といえばレイテ沖海戦が初めてだった。それとて沈没した戦艦「武蔵」の乗組員を救助して、途中から戦隊と分かれ、引き返してしまったのだ。
「清霜」は二五ミリ機銃二八梃、一三ミリ機銃四梃という恐るべき機銃を備えていた。しかし機銃員のうち夜間対空射撃の経験のある者は一人もいなかった。ましてや三隻の護送駆逐艦――とくにいまだペンキの香りも新しい「榧」など、乗組員は艦に慣れる閑もなく尻をつつかれるようにして南方へ送られた感がある。
要するに訓練不足なのだ。昔日の帝国海軍の面影などまったくないといってもいいすぎではない状態であった。
(p134)
しかし舞台においては、改二になっているので当然なのですが、史実より相当に練度が上がった状態であることが示されたと考えられます。ブラウザ版で一番大きなifと言えば改二改装かなということもありますし、これは大きな違いです。
駆逐艦は2024/8/21現在、123隻が実装されています。 長年、提督をやっていれば「どの艦が〇〇型で~」といったことは自然と覚えてしまうのですが、最初のうちは分かりにくいと思います。 そこで今回は、駆逐艦の艦型を頑張って覚え[…]
演習は食事シーンを挟んで2回実施されるのですが、2回目は伊勢・日向が対空砲火の標的として吹き流しのついた瑞雲を飛ばして協力してくれます。
これも史実にはなかったif展開で、実はこの時点では伊勢・日向は艦載機を積んでいなかったのです。
そのような理由で「日向」「伊勢」の広い格納庫はカラだった。それでも一隻当たり三六センチ砲八門を有していたから、「大和」が内地に帰ってしまった以上、南方水域における最も有力な艦艇といえよう。
史実と異なり、ここで松型3隻の対空戦闘練度をしっかり上げられたことが後の空襲対策に活きたのではないでしょうか(艦隊防空)。
出撃
出撃シーンは艦名+「抜錨」「出撃」など、おのおのの言い回しで宣言した後、順次、舞台からスロープを経て外周通路へと滑り出す……といった形だったと思います。
深海側の動向
出撃シーンの後に場面が切り替わり、深海棲艦が登場します。姫級の艦は艦娘同様、それぞれの名称がスクリーンに表示されていく演出あり。
台詞が一切なく、「シズメシズメ」を始めとするボーカル含みの深海系の各種BGMに合わせてダンスのみ……という演出が非常に刺激的で良かったです。
深海側の面子について、まずボス格の飛行場姫と集積地棲姫は、礼号作戦の攻撃目標である2つの飛行場とブスアンガ川の河口付近にあった物資集積所が史実的な元ネタです。下図赤枠。
(p207)
青枠がPTや輸送ワ級です。ただしPTはここ以外にも各所から多数出撃しており、礼号作戦部隊は往路・復路とも何度か接敵することになります。
そして重巡級・軽巡級、駆逐ラ級(可愛い)ですが、これらは礼号作戦部隊の動きを察知して急派された、チャンドラー少将麾下の第四巡洋戦隊と思われます。その内容は、旗艦・重巡ルイスヴィル、重巡ミネアポリス、軽巡フェニックス、軽巡ボイスに加え、駆逐艦八隻でした。
先述の通り史実においては現地到着が間に合いませんでしたが、舞台では集積地棲姫たちと共に艦娘を待ち構える描写になっており、このあたりもifと言えます。
水偵の活躍
ミンドロ島へと向かう途上、足柄と大淀が水上偵察機4機を相次いで射出するシーンがありました。
これは史実にもあったことで、26日の夕刻4時頃、まず足柄の水偵2機が射出されます。
しばらくして艦隊は米軍の哨戒機に発見されますが、襲撃を受けるまでの合間、午後5時52分には大淀の水偵2機も発進しました。水偵の対空戦闘能力は皆無に近く対空戦闘に入ってしまえばとても発進などできないので、ギリギリのタイミングであったようです。
舞台では大淀が射出したのは紫雲だったようですが、史実では零式三座水上偵察機です。
(『艦隊これくしょん -艦これ- いつか静かな海で』3巻 原作:田中謙介 協力:C2機関 作画:さいとー栄 2017年)
これらの水偵は対潜哨戒が主な目的ですが、これを終えた後には一度マニラ湾へ向かい着水、燃料補給をした後に引き返して、艦隊のサン・ホセ湾突入に合わせて吊光弾(ちょうこうだん)を投下する任務も負っていました。
艦隊のサン・ホセ到着は真夜中頃を見込んでおり、そこに照準を合わせて足柄機、大淀機がタイミングを変えつつ交代で任務にあたる手はずでした。
この後、艦隊が空襲を受けている最中にも大淀機はサン・ホセ上空を通過し、湾内に停泊している輸送船の様子を伝えてきています。
空襲~清霜の被弾
敵機に居所を察知された艦隊は苛烈な空襲を受けることになります。
中でも大きくフィーチャーされるのは清霜の被弾でしょう。清霜は「頑張るぞ!」みたいな前向きな台詞を言っていましたが、「でもお前被弾するやんけ!」と思っていた提督も多かったのでは。
舞台では「痛いぃ!」の悲痛な台詞とともに、しゃがみこむ演技でした。この時、自分の記憶違いでなければ左手で腰を押さえていたと思います(有識者の証言求む)。
史実においてはB-25の超低空からの爆撃が直撃しましたが、その被弾箇所は「中央部やや後方の左舷」だったそうなので、これを反映した演技だったのではないかと。
この点、ブラウザ版での清霜の中大破台詞も「え? 左側? え? 航行不能? そんな…やばい、じゃん…。」となっていますし、『いつか静かな海で』でも史実を意識した描写がされています。
(『艦隊これくしょん -艦これ- いつか静かな海で』3巻)
艦は一瞬、火炎に包まれる。命中した場所が悪かった。同時に後部にも一発の至近弾が落下した。この爆発で新鋭駆逐艦「清霜」の左舷舷側は喫水線の上に幅一メートル、高さ一メートルの四角い穴がポッカリと口を開けた。
あっという間もなく重油はタンクから前方の機械室、さらに第二、第三缶室へあふれ出た。「清霜」は速力が落ち、やがて海上に停止してしまった。
(p180)
実艦・清霜の構造で見ると、このような感じです。
(図は『写真 日本の軍艦 駆逐艦Ⅱ』光人社 1990年)
※被弾箇所と機関の位置は筆者追記。
※「缶・タービンの図」には「朝潮型」とあるが、夕雲型のものも基本的におなじ構造。
追記した部分はあまり正確な図ではありませんが、ざっくりこのような位置関係だったと思われます。
また重油タンクは一般に主要な構造物を載せた後、余った箇所に設けられますが、この場合は機械室の外側、左舷側面にあったものが被弾したということになります。
駆逐艦は機動力が命ということで、排水量の約30%が機関部(缶室+機械室)で占められていますが、それだけにこの心臓部への直撃は非常に痛く、火勢を目にした霞の見張員も「『清霜』、爆発します!」と叫んだと言います。
なおダメコンの見地から考えると、この缶室(ボイラー)と機械室(タービン)の並びは問題含みで、たとえばアメリカの駆逐艦や、実は松型もそうなのですが、缶室と機械室を交互に並べておくことで、損害を受けても最悪、航行不能の事態は避けられる方式を取っていました。
(【科学で検証】太平洋戦争中、日本の軍艦が次々と沈没していったワケ)
『写真 日本の軍艦 駆逐艦Ⅱ』、松型の解説にはこうあります。
機関配置において、本型では日本海軍の駆逐艦としては初めて缶室の分離が採用され、機関区画は前方より前部缶室、前部機械室、後部缶室、後部機械室の配置となり、左右の軸系をそれぞれ独立させることで被害時の行動力喪失を防ぐことをはかっており、これはフランスなどにおいては古くから実施されてた方式で、当時の米駆逐艦も採用していた。
もちろん、この方式では軸系が左右対称でなくなり簡易化を阻害するとの意見もあったが、当時の戦訓から必要とする意見にしたがって採用されたもので、事実これにより本型の被害時の生存率は増大されたのである。
今回の清霜の被弾箇所もまさにこのあたりなので、もし缶室が分離された構造であれば自力航行は可能だったかもしれません。
足柄に襲いかかるたこ焼き
空襲の終盤、足柄に一機のたこ焼きが襲いかかり、左腕にがっしりと食いつきます(劇中では小破相当)。
足柄はたこ焼きを引き剥がし、「海に還そう」といった感じの台詞の後、そっと放流、艦隊全員が敬礼で見送ります。
これは無論史実ネタなのですが、時系列的に帰路での出来事であるため、後ほど触れることにします。
なお『いつか静かな海で』にも同様のシーンがあります。
(『艦隊これくしょん -艦これ- いつか静かな海で』3巻)
空襲の被害状況と護衛に残った杉
さて、舞台の台詞によれば「大破寄りの中破」となってしまった清霜は、作戦参加を諦めてその場にとどまり、作戦が完了して艦隊が戻ってくるのを待つことになります。
そして霞は清霜に浮き輪を与えると、護衛として杉を残していくこととしました。
このあたりはいずれも史実と異なります。
まず護衛艦についてですが、このような顛末でした。
「帰ったら拾う。位置を入れておけ」
と命令し、また何事もなかったような顔つきで作戦指揮を続けたという。
「位置を入れておけ」とは、海図に「清霜」の沈没位置を記入しておけとの意である。第二水雷戦隊日誌には、「清霜、爆弾命中停止、火災。地点イテ三七。一機撃墜」と記されている。
この位置は、「霞」から他の六隻にも連絡された。「清霜」は艦隊から置き去りにされた。
「木村少将はなぜ、艦を止めて『清霜』の乗組員のためにボートを下ろしてやらなかったのか」
「六隻のうち、せめて一隻くらい、『清霜」の救助に残してもいいではないか」
これは単純な質問である。
しかし指揮官は情におぼれてはならない。全艦隊が一丸となって敵地に突入せんとしているとき、犠牲者の救出はおのずから第二、第三の問題となる。
心情的にはともかくとして、目的地点を目の前としている以上、一時間あまりはかかるであろう救助に費やす時間はない……というのは当然の判断でした。
ここでの文字通り「せめて一隻くらい」が、舞台でのifである、とも言えます。
また被害状況の詳細ですが、史実では一時火災は消し止められたものの、他の艦が去った後、被弾から約二時間経過した頃に海面にあふれ出した重油に火がついてしまい、「全艦火だるま」となって総員退避のやむなきに至っています。
このような被害状況を、ブラウザ版ではどの程度のものと判定すべきかは判断が分かれるところかもしれませんが、自力航行不能、消火ポンプ等も故障で満足に使えない状況も加味すると、大破相当と考えるのが自然ではないでしょうか。
したがって、被害は受けたものの「大破寄りの中破」にとどまったことも舞台設定のifとして考えて良いのではないか……と個人的には思っています。
なお霞から渡された浮き輪についてですが、史実通りなら必要な状況だったと言えます。ただ舞台では結局使われなかったようなので、これがif要素かと言われるとやや微妙かもしれません。
史実における清霜乗員の救助
総員退艦の1分後には大爆発が起き、清霜はあっという間に沈んでしまいます。
乗員は海に投げ出されますが、カッターを下ろす暇がなかったため、あらかじめ海に投げ入れておいた応急用木材などの漂流物に捕まって体力消耗を防ぐ……といった状況になっていました。
ブラウザ版、清霜の轟沈台詞は「敵を殴ったら帰ってきてね」という内容で、このシチュエーションを表現したものです。
本隊の方ですが、攻撃を終えて帰途についた10分後には清霜の救助を下命、他の艦を合流地点へと先に向かわせ、霞と朝霜の2隻のみで清霜の落伍した地点へと向かっています。
そして空襲の危険を顧みず救助を続けた結果、清霜に乗艦した342名のうち258名を救助しました。
また行方不明者のうち5人がアメリカの魚雷艇に救助されていたことが、戦後になって明らかになりました。
榧以下の三艦は戦時急造型で、船体、兵器、機関にも弱点をかかえ、航続力に余裕がなく、カムラン湾への帰投も特別の配慮が必要であったし、足柄、大淀とおなじくこんどの作戦で臨時に借りてきた艦であった。
そこで足柄、大淀と榧以下三隻を先行させ、二水戦固有の霞、朝霜だけで清霜救助をやろうという配慮も働いているように思われたのである」と述べている。
海戦勃発
深海側の一幕を挟んで、一路ミンドロ島へ向かう礼号作戦部隊。
今度は敵水上艦隊に迎撃され、戦闘が始まります。何度か書いている通り、これは史実にはなかった戦いです。
主砲を撃ち合うなどしたところで、一度場面転換します。
襲撃を受ける清霜たち
落伍した清霜と護衛にあたる杉の場面に。
清霜は機関を修復し、自力航行可能な状態になります。それを喜ぶ杉。清霜は要らなくなった浮き輪を杉に押し付けます。
そうこうするうちに遠方からの砲撃音が聞こえ、本隊が交戦したことに気づく2隻。
ところがこの時、いつの間にか深海側の艦艇(軽巡と駆逐艦)が忍び寄ってきており、2隻はほぼ無防備なところに襲撃を受けて追い詰められます。杉が清霜をかばったところで舞台は暗転。
このシーンは完全に史実と異なる展開ですが、おそらく先に挙げた第四巡洋戦隊が艦隊を半々くらいに分け、本隊と清霜たちを同時に襲った……という想定かと思われます。ただ両者を合わせた時に、編成や数が史実のものと一致するかどうかは分かりませんでした。
ミンドロ島到着~艦砲射撃と物資集積所
本隊の方は敵艦隊を退けることに成功、深海側は一時撤退します。
ついにサン・ホセ湾へと突入した6隻は、PTを始めとした敵艦とぶつかり合い、乱戦に。
さて、ここではPTなどに交じって、輸送ワ級が登場しました。
先に「輸送船団はすでに帰港しており、すれ違いになった」と書きましたが、じつは例外があり、荷下ろしに時間のかかるリバティ型貨物船は6隻中2隻しか作業が終わらず、荷揚げが終わった艦はさっさと帰ったのに4隻が取り残されてしまったのです。
したがってこの輸送ワ級は、可燃性のガソリンなどを含む物資を積んだまま置き去りにされた、かなり可哀想なワ級です。下図では「リバティ船」と書かれています。
(p201)
戦闘シーンは続きますが、多勢に無勢、艦隊は大きなピンチに陥ります。しかし、ここで霞が檄を飛ばしながら根性で立ち上がると、部隊を指揮して決死の反撃。最終的にボス格である集積地棲姫を撃破しました。
どういった順番で敵艦を倒していったのかはちょっと記憶していません。
史実の方では、ざっくりとした流れとして「輸送艦撃破」→「飛行場へ艦砲射撃」→「ブスアンガ川河口の物資集積所を攻撃」となっています。さきほども引用しましたが、下図が分かりやすいです。
(p207)
なお劇中で集積地棲姫を攻撃する際、ブラウザ版ではおなじみの内火艇などを使った攻撃はしていませんでしたが、これはじつは史実通りです。
艦内のスピーカーは叫んだ。同艦の上甲板からは陸上基地が真っ赤な炎を吹き上げて燃えているのが遠望されたという。
艦隊の砲撃により海辺にうず高く積まれた軍需品の山は木っ葉微塵に粉砕され、砲火を浴びた建物は火災が発生、炎は天を焦がすばかりだった。陸岸は照明弾と火災のため真昼のように明るい。二〇センチ砲はひっきりなしに吠え続けた。米軍記録によると、砲撃は十一時より零時までの約一時間続いたと伝えられる。
ブラウザ版の集積地棲姫は前回の礼号作戦イベント時に初登場なので、このあたりが被弾ボイス「イタイ、ヤメロ! モエテシマウ……!」の元ネタなのかなという気がしますね。
帰路へ~深海棲艦の退場
礼号部隊が戦果を確認して去った後、しばらくして深海艦がむくっと起き上がり、正面向きのままゆっくりと後方へ下がる動きで退場します。
スモークが炊かれ、舞台全体が白く投光される不思議な雰囲気で、このあたりの演出には色々と解釈の余地がありそうに思いました。
深海水上部隊の追撃~友軍、第四航空戦隊
部隊は清霜と別れた地点まで戻ってきますが、そこには2隻の姿はありません。
「そんな……」といった雰囲気になったところに、さきほど一時退却した深海の水上部隊が襲撃をかけてきます。
ふたたびの大ピンチ。しかしここで内地に帰ったはずの第四航空戦隊と響、初霜が颯爽と登場して礼号艦隊を援護、さらに実は四航戦のメンバーに助けられていた清霜と杉も現れ、一気に戦局を逆転します。
重巡棲姫の「こんな勝利に意味はない」という台詞に、「意味はあるわ!」と反駁する霞。
その後、魚雷カットイン(?)で重巡棲姫を撃破して勝利。
わちゃわちゃと喜びを分かち合った後、「華の二水戦」と「月夜海」を順番に歌って大団円となりました。
清霜の帰還
小さな勝利
霞の言葉にあった「小さな勝利」とは何か?
ここまで通覧してきたように、舞台「艦これ」には様々なif要素が存在していました。
朝霜・清霜が改二になっており、相当の練度を持っていたこと(提督がレベル上げをしていたのかも)。
艦載機を備えていた伊勢・日向が協力することで、杉・樫・榧が演習で練度を向上できたこと。
結果として清霜の被害が「大破寄りの中破」で済み、自力航行可能な程度にダメコンできたこと。
霞が杉を護衛に残す決断をしたことで、敵水雷戦隊の襲撃をしのげたこと。
提督が第四航空戦隊を救援に差し向けたこと。さらには響や初霜が居たことまで。
多数のifが、点と線となって「清霜が無事に帰ってきた」という結果に繋がっています。
「小さな勝利」とは何か?
様々考えようはありますし、いくつかの意味合いが重なった言葉でもあるため、一概にこうとは言えないかもしれません。
しかし、清霜の帰還こそ「小さな勝利」である、と言うことは、ひとつの解釈として可能であると思います。
ゆきて帰りし物語
ブラウザ版ではゲームとしての形式上、ボスを倒した時点で海域クリアであり、基本的に帰路が描かれることはありません。
しかし舞台「艦これ」(礼号作戦)は、清霜の落伍をキーポイントとして帰路の描かれる物語、「ゆきて帰りし物語」でした。
行きはよいよい帰りは怖い。
礼号艦隊が出撃したベトナム南西のカムラン湾からミンドロ島までの往復航海は、小型の松型駆逐艦にとっては燃料面でギリギリの距離でした。航続距離で言えば朝霜・清霜の七割程度しかないのです。
実際、杉・樫・榧の3隻は帰路の途中で重油不足に陥り、速度を落とさざるを得ませんでした。艦隊全体が低速に合わせて行動するのは危険であることから、その際、司令官は艦隊をふたつに分けて高速艦のみを先行させます。
結果として松型は3隻とも無事にカムラン湾へとたどり着くことができたのですが、それは他の艦より十七時間も遅れてのことでした。
また敵泊地へ殴り込みをかければ、敵航空隊の反撃を招くことは必至でした。
礼号作戦に参加した第二水雷戦隊の砲術参謀・板谷隆一少佐は、作戦の成否については問題なく突入できると考えていたものの、「ただし帰路、空襲を受けることは覚悟していた」と語ったそうです(p146)。
しかし今度の礼号作戦は南シナ海を横断する航海だ。この海にはほとんど島がないから損傷艦が帰途、身体を休めるべき泊地はない。すなわち一発喰わしたら、ふたたび急ぎ足で南シナ海を横断して帰らねばならない。
礼号作戦は「帰ってこれる」ことが当たり前ではない、厳しい作戦でもあった。
そう考えた時、全艦が無事母港へと帰投できた舞台「艦これ」の大団円は、いっそう価値あるものに感じられるのではないでしょうか。
水葬式と特攻
最後に、たこ焼きの話をします。
足柄に食いついたたこ焼きですが、これは史実において足柄を狙ったB-25のことです。
超低空で突入してきたB-25は、足柄の左舷後部に体当たりしたのです。これはおそらく意図的なものではなく、機銃掃射によりパイロットが死亡しており、偶然、衝突したものであろうと言われています。
礼号艦隊ではミンドロ島からの帰路、敵の攻撃の合間を縫って水葬式が行われましたが、その際、味方の戦死者たちとともに、このパイロットの遺体を丁寧に葬ったそうです。
(p221)
帰路を想定しない作戦というものも存在します。たとえば天一号作戦がそうです。
レイテ決戦の頃から始まった特攻作戦は礼号作戦の前後も続き、ミンドロ島へ向かう米軍の輸送部隊にも陸軍・海軍とも様々な特攻機が攻撃を仕掛けています。『第二水雷戦隊突入す』も、前半は各特攻部隊の動向ばかり書かれていると言ってよいくらいです。
特攻というものをどう考えて良いのか、それはとても難しい問題ですし、自己犠牲の美名に酔うことなく考え続けるということは、戦後八十年経った今、ますます難しくなってきているようにも思えます。
「艦これ」は生還を期さない兵器を否定する態度を取っていると言えますが、それは「帰還すること」の大切さを重んじているということでもあります。
「帰還」をひとつのテーマとした舞台「艦これ」礼号作戦は、こうした難解な問題を考える、考え続ける上で、小さなヒントになるのではないか。そんな風に考えてみたい気がします。
最後に大岡昇平の『レイテ戦記』から、神風特攻に関して書かれた部分を一部引用して、本稿の締めくくりとします。
(中略)
ロでは必勝の信念を唱えながら、この段階では、日本の勝利を信じている職業軍人は一人もいなかった。ただ一勝を博してから、和平交渉に入るという、戦略の仮面をかぶった面子の意識に動かされていただけであった。しかも悠久の大義の美名の下に、若者に無益な死を強いたところに、神風特攻の最も醜悪な部分があると思われる。
しかしこれらの障害にも拘らず、出撃数フィリピンで四○○以上、沖縄一、九○○以上の中で、命中フィリピンで一一一、沖縄で一三三、ほかにほぼ同数の至近突入があったことは、われわれの誇りでなければならない。
想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越えて目標に達した人間が、われわれの中にいたのである。これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである。今日では全く消滅してしまった強い意志が、あの荒廃の中から生れる余地があったことが、われわれの希望でなければならない。
※博する(はくする)……獲得すること。
(『レイテ戦記(上)』大岡昇平・著 中公文庫 1974年)
参考文献など
書籍
『第二水雷戦隊突入す 礼号作戦最後の艦砲射撃』木俣滋郎・著 光人社NF文庫 2003年
『駆逐艦入門 水雷戦隊の花形徹底研究』木俣滋郎・著 光人社NF文庫 1998年
『写真 日本の軍艦 駆逐艦Ⅱ』光人社 1990年
『戦場の将器木村昌福 連合艦隊・名指揮官の生涯』生出寿・著 光人社 1997年
『ホビットの冒険』“The Hobbit, or There and Back Again” J・R・R・トールキン・著 岩波書店 2002年
漫画
『艦隊これくしょん -艦これ- いつか静かな海で』原作:田中謙介 協力:C2機関 作画:さいとー栄 KADOKAWA/メディアファクトリー 2014~2017年
※ところで、さいとー栄先生が現在連載中の『終末ツーリング』がアニメ化します。
舞台のまとめTweet
記憶があいまいだった部分が補完でき、非常に助かりました。ありがとうございます。
大岡昇平の著作
『俘虜記』大岡昇平・著 新潮文庫 1967年
『野火』大岡昇平・著 新潮文庫 1954年
『レイテ戦記』大岡昇平・著 中公文庫 1974年
※『レイテ戦記』は文庫版で1300ページ以上と長すぎるので、その他の作品がオススメです。